プロフィール

生まれは富山、立山と剣・薬師を見ながら成長。でも、スキーも登山もほとんど経験なし。そんな環境で体は大きくなっていく。
学生時代に遅まきながら、中途半端な(私自身の気持ちのこと)スキーとハイキングを経験し、幾分山指向の雰囲気を得る。
関西の会社にはいってからは会社のひとたちと比良を中心に活動したが、わたしも含め、世の流れでゴルフに走るとか、結婚して生活が変わるなどして、山仲間がいなくなり、熱意もなくなり頓挫してしまった。

 ある日、突然の北関東の関係会社への出向命令で、その後の人生を変える単身赴任経験をすることになる。ゴルフに凝っていたが100は切れず、センスのなさを痛感し、すんなり山に変更。25万画素のカシオのデジカメとの出会いは日記作成の一歩。
残念ながら相棒はおらず、ひとりハイキングを6年間続けることになる。日光の山、尾瀬の山、那須の山、冬の山(冬のドライブも)などなど。
ここで得た財産は言い尽くせない。

 出向も解け、関西に戻る。北関東の行動の延長で山を継続したが、2500m級の山から1000m級の山の落差は大きく、再び中途半端な気分になってきた。が、このとき、山に行く仲間が身近にいることにようやく気づいたのと、カシミールとの出会いがきっかけとなり、関西でのハイキングの再スタートとなる。仲間は家内や近所のバドミントンクラブの中年・熟年のみなさんや昔の山仲間、カシミールとの出会いは結局GPSの購入につながり、ハイキングの楽しみを復活させてくれた。

 山を継続するうちに、関西の山のすばらしさも遅まきながら分かってきた。鈴鹿の花や比良や鈴鹿の冬山(ロープウェイ・ゴンドラ・リフトが無くなることは無茶苦茶、残念です)でしょうか。栃木・群馬・福島の経験での再評価なので狂ってはいないでしょう。紅葉については関西の山はまだ??です。日光のカラマツ、奥只見の全山紅葉、那須のナナカマドを超えるものは??。

 ホームページを作ることは北関東にいるときに思い立った。が、検索機能を使って、いろんな山関連のホームページを見ていると、個人個人でホームページを作る発端もいろいろ有るなと痛感。役に立つ好きなホームページは、やはり道の不明なところでの細かな記述の有るもの。延暦寺で有名な比叡山のルートを経験して痛感した。25000の地図には無い道があり、ハイカーに活用されている。さあ、自分にどこまでできるか。

 ここでGPSの出番(2005年以降です)だ。地図をまともに読めないがゆえに、比叡山で行き止まりにいくとここはどこだとひたすら思う。迷った経験は、北関東でも関西でも豊富。北関東でGPSを使っていたら、精神的に疲れないで山行できていたかもしれない。一方、デジカメは一代目(カシオ25万画素)は自慢(余り人気がなかったころに購入)できるが、以降は80万(1999/6キャノン)、130万(2000/8富士フィルム)、300万画素(2004/7コニカミノルタ)と常に1-2年遅れの型落ちで価格の手ごろ品を購入。一代目の価格を常に目安に。

2006春、近江今津でザゼンソウを楽しむ会があった。実態は単なる飲み会だが、名目にこだわる雨男Sさんの企画である。ここで某山学会のYさんやTさんに出会う。二人とも専門分野のプロで学ぶところは多い。これ以降、例会に便乗のかたちでお邪魔することになる。

2006.9 ついにペンタックスのデジカメ一眼レフ(600万)を購入(新製品時代の購入は初めて、1000万画素は用途からして不要の判断)。北関東時代のはじめはデジカメがなかったと思う。フィルム版のペンタックスを愛用し、いろんな備品も購入したが、デジカメにはまってからはご無沙汰だった。押入れからペンタックスのレンズや備品を取り出し、デジカメにあうかどうかをさっそくチェック。一眼レフはたとえは悪いが、花火と同じ、音がいいし、ピントが合わせやすい。ご無沙汰の三脚も登場の雰囲気になってきた。これからの山日記はどう変わるのか。

 ということで、山日記のスタートです。

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